名作「吾輩は猫である」を現代風にアレンジした作品をお楽しみください
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは苦沙弥という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この苦沙弥というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。
掌の上で少し落ちついて見ると、それが今まで自分のいた場所とは全く違う世界であることに気づいた。目の前には発光するガラスの板があり、その中で無数の文字が踊っている。後に知ったことだがこれはパソコンというもので、人間はこの箱の前で一日中何かをカタカタと打ち込んでいるらしい。
吾輩を拾い上げた苦沙弥という男は、三十代後半と思しき痩せぎすの体躯で、眼鏡の奥の目は慢性的な睡眠不足を物語っていた。髪は寝癖で乱れ、よれよれのTシャツとスウェットパンツという出で立ちである。この男が吾輩の主人となる。
「お、猫か。まあ、リモートワークの癒しにでもなるかな」
主人はそう呟くと、吾輩を段ボール箱に入れた。それは Amazonのロゴが印刷された、いかにも現代的な産物であった。以来、この家が吾輩の住処となったのである。
主人の家は、築二十年ほどの2LDKのマンションである。リビングには大型テレビとゲーム機、そして主人の仕事道具であるデュアルモニターのデスクトップパソコンが鎮座している。部屋の隅にはルンバが待機し、キッチンには食洗機、冷蔵庫には液晶パネルがついている。実に現代的な、テクノロジーに満ちた空間である。
主人は在宅勤務、いわゆるリモートワーカーというものらしい。朝九時になると、パジャマからTシャツに着替え(といっても大差ないが)、パソコンの前に座る。そしてズームだのスラックだのと訳の分からぬ言葉を発しながら、一日中画面と睨めっこをしているのである。
吾輩は最初の数週間、この家の中を探検して過ごした。リビング、寝室、バスルーム、そして何より興味深いのはキッチンであった。冷蔵庫を開ければ様々な食材が並び、戸棚には缶詰やレトルト食品が詰まっている。人間というものは実に多様な食物を摂取する生き物らしい。
主人の妻も同居している。彼女は午前中パートに出かけ、午後帰宅するとすぐにスマートフォンという小さな光る板を取り出し、何やら熱心に画面をタップし始める。後に知ったのだが、これはインスタグラムというもので、他人の生活を覗き見したり、自分の生活を誇示したりする道具らしい。実に不思議な習慣である。
「ねえ、この猫、インスタに載せていい?映えるかも」
妻がそう言って吾輩を抱き上げ、無理やりリボンなどをつけようとしたことがある。吾輩は当然抵抗した。猫には猫の尊厳というものがある。リボンをつけて写真を撮られ、世界中に晒されるなど、まっぴらごめんである。
「痛っ!引っ掻いた!もういい、この猫使えない」
妻は吾輩を放り出すと、代わりに自分の朝食のアボカドトーストを撮影し始めた。実に浅はかな生き物である。
こうして吾輩は、苦沙弥家の住人となった。名前はいまだにない。主人は「猫」と呼び、妻は「あの猫」と呼ぶ。名前がないことに不便を感じたことはない。むしろ、名前で呼ばれることで生じる義務や期待から解放されているとも言える。
吾輩は観察者である。この家で繰り広げられる人間社会の縮図を、冷静に、客観的に見つめている。人間たちは自分たちが文明の頂点に立っていると信じているようだが、吾輩から見れば滑稽極まりない。
画面に向かって独り言を言い、見えない相手に怒鳴り、小さな光る板に一喜一憂する。夜になればNetflixとかいう箱で他人の作り話を眺め、週末にはUber Eatsで食事を取り寄せる。自分で狩りもせず、外にも出ず、ただ画面の中の世界に生きている。
これが二十一世紀の人間の姿である。吾輩はこの家で、彼らの生態を観察し続ける。なぜなら、それが実に興味深いからである。そして時に、滑稽で、哀れで、それでいて愛すべき存在だからである。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。しかし、それで十分である。
【完】
本作は、著作権が消滅しパブリックドメインとなっている原作(出典:青空文庫)をもとに、著者が独自に解釈・翻案した創作作品です。原作者の思想・人格を反映するものではありません。
翻案:HARUHIKO(ペンネーム)
編集:YUNA(ペンネーム)
制作:コトノハ・デジタル出版
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